
介護や医療の現場では、利用者の最後に立ち会うことがあります。
利用者が亡くなられたとき、こんな違和感を感じていませんか?
「利用者が亡くなったけど、悲しいと感じない。」
「利用者が亡くなることに慣れてしまって、これでいいのかな?」
人が亡くなることに、悲しくなかったり慣れてしまったりしている。
それは決して間違っていないし、自然なことです。
介護職や医療職は、人の死を間近で感じる職業といえます。
その中で、人の死に対して淡白になってしまっている。
そう感じる方へお伝えしたいことがあります。
それは人の死に、冷静に向き合える大切な変化かもしれません。
・利用者の死に対して「慣れて」しまって何も感じない人
・利用者が亡くなっても、悲しいと感じない人
このような感情に悩んでいる方へ
私の経験をもとに利用者が亡くなったときの向き合い方や注意点を
以下の3つに分けてお伝えします。
・何も感じなくなることは、自然な反応であること
・冷静さを利用して、人の死に向き合う方法
・注意点として、軽んじる言動をしないこと
私は療養型医療施設で、何十人と人が亡くなる場に立ち会いました。
そのため、危篤状態や亡くなった利用者がいたとき、
医者を呼んで、ケアの準備をして・・。など
「業務」として、対処できる自分に何か変だと思ってました。
何人もの人が亡くなる状況に、慣れて心が反応しない。
そんな自分に、違和感を感じたことがあります。
しかし何も感じないとは、冷静さが保てている状態と言えます。
大切なのは、その冷静さをどう活かすかです。
ここからは、「人の死に慣れてしまった」と感じている。
そんなあなたに、私自身の経験をもとに伝えたいことをお話しします。
利用者が亡くなって、なにも感じないのは自然な反応

まず、人が亡くなることに対して、何も感じない。
このような反応について、確認していきましょう。
これは自然な反応で、間違っていないことです。
・人が亡くなっても悲しくないのは変
・何も感じないのは間違っている
このように言ってくる人がいるかもしれないですね。
でも気にする必要はありません。
なぜなら介護職として
・心理的な防衛反応
・プロとしての意識を持つ
・介護職としての覚悟を持っている
このように言えるからです。
だから決して、変でも間違っていないと捉えましょう。
心理的な防衛反応
簡単に言うと「慣れ」です。
そして「慣れ」は心を守るための自然な反応といえます。
何度も人が亡くなる状況。
そのたびに、悲しんだりショックを受けてしまったらどうでしょうか?
心が疲弊してきませんか?
そうならないための防衛反応としての「慣れ」なんです。
人間は環境の変化には適応できる生き物ですよね。
つまり「人の死に慣れる」ことも、自分を守るための自然な反応です。
あなたは自分を大切にしていると言えます。
私の仕事上での先輩で、特定の利用者と親しくなってしまった人がいました。
しかし、偶然にもその利用者が立て続けに亡くなってしまったのです。
その先輩は、精神的に疲れてしばらく休職してしまいました。
このように、慣れが無いと心のダメージが大きくなり、
日常生活にも影響を及ぼしてしまうことがあります。
しかも、何度も続くと心が疲弊してきますよね。
そうならないための防衛反応が「慣れ」という状況です。

介護職としてのプロ意識
利用者が亡くなったとき、あなたはどう行動しましたか?
冷静にするべきことに集中してませんでしたか?
それは、介護職として、プロとして当然の行動です。
きちんとプロ意識が備わっている立派な姿勢といえるでしょう。
目の前の利用者が亡くなったとき、私たちはするべき仕事があります。
動揺していては
・冷静な判断がができなくなる
・今、やるべきことに集中できなくなる
私が療養型医療施設にいた時です。
患者が亡くなる直前、延命としての心臓マッサージを行いました。
その時、担当の医者がアタフタし始めたのです。
そして、その医者がとった行動は、本当に天に祈ることでした。
私と看護師は必死に、心臓マッサージを行っている時にです。
そもそも、その患者は末期の方でした。
延命治療も望んでいません。
しかし、その医者は1時間近くに渡って延命措置を指示したのです。
その挙句、本人は天に祈って「助けて!」と言っていました。
これは実話です。
このように、プロとしての意識がないと自己満足の行動になってしまいます。
目の前の人が亡くなろうとしている時、心が動揺しない。
それは介護職として、医療職としての立派なプロ意識の表れです。
とても立派なことです。

介護職としての覚悟
利用者が亡くなったことに動揺しない。
それは起こり得ることとして、想定できているからです。
それは介護職としての覚悟が育ってきたといえます。
関わっている人が、いつかは亡くなる。
その現実に腹を括っている証拠です。
介護職では、高齢者であり色々な病気を抱えた方と関わりますよね。
癌の末期で、余命宣告を受けている人とも接することもあるでしょう。
そのような時に、しっかりとその方が亡くなる時を想定している。
そんな覚悟がある人は、いざ亡くなっても動揺はしません。
ある看護師が言った言葉です。
「急変したら救急車を呼べばいいよ」
一見ドライに聞こえるかもしれません。
でもその言葉の裏には、状況を受け止める強さ、職員としての冷静な判断力がありました。
これだけドンと腹を括れている人がいる。
周囲の関係者にとっては、頼もしい限りでした。
一方でまだ腹を括れていない人は、利用者が急変することを避けようとします。
・執拗に何度も血圧を測る
・少しでも体調が変わると家に帰らせようとする
・利用者に何度も「具合がわるくないですか?」と聞く
結果として、利用者を不安にさせたこともありました。
利用者が亡くなっても動揺しない。
それは亡くなることを想定し、心の準備ができているからです。
そして、冷たさとは対照の介護職としての覚悟とやさしさと言えます。
利用者の家族や職場の上司、同僚にとって頼もしい存在でしょう。

利用者が亡くなることに冷静に向きあってみる
では、利用者が亡くなっても何も感じない。
そんな自分に違和感や嫌悪感を感じている人にできる行動を伝えます。
・自分なりの死生観をもつ
死生観とは、まさに死ぬことや生きることに対する見方。
死と生を通して観る人生観、自分なりの考え方です。
つまり、冷静にきちんと「死」や「生」に向き合う。
悲しいなどの感情が出ていない冷静さを利用し、人生観に向き合いましょう。
冷静さを保てているのであれば、利用者が亡くなった。
その状況に正面から向き合えます。
立場を、本人、家族、第3者のそれぞれで想像することがポイントです。
具体的にお伝えします。
本人にとってはどんな最期だったのか?

亡くなられた方にとっては、どのような最期だったのか?
まずはそこから想像してみましょう。
これは死生観の中でも1人称としての視点にあたります。
冷静でいられるあなたは、より本人に近い視点で考えられるかもしれません。
「悲しい」とは自分自身の視点での捉え方です。
でも1人称としての捉え方は、その方の目線に立った考え方となります。
つまり自分ではなく利用者本人の気持ちに寄り添うことができます。
例えば生前の利用者の、言っていたことや表情を思い出してみて下さい。
・どんな最期を望んでいたのか
・残された時間をどう過ごしたかったのか
などを考えて、利用者本人の気持ちを考えてみましょう。
私自身が経験した在宅介護の看取りについての記事です。
利用者本人の気持ちとして、どのような最期だったのか?
利用者が亡くなったとき、きちんと向き合ってみましょう。
「何も感じなかった」
そう思う自分に、今は戸惑っているかもしれません。
でも、あとからでも大丈夫。
その方にとって、どんな最期だったのか
丁寧に心を寄せてみることが、あなた自身の死生観を育てる一歩になるはずです。
家族は今回の「死」をどう捉えたのか
家族は今回の「死」をどう捉えたのか?
2人称、つまり家族の立場として考えてみましょう。
家族が無くなる出来事はとても大きなこと。
そのため、利用者との生前の関わり方で、捉え方も変わってきます。
利用者が亡くなって、一番、影響があるのが家族でしょう。
その後の人生に大きく影響することもあります。
例えば、こんな問いを立ててみて下さい
・家族はどんな最期だと感じていたのか?
・利用者とどんな関係を築いていたのか?
こうした問いを通して、“家族の立場”になって考えることが、2人称の視点です。
もしできるなら、家族から話を聴いてみましょう。
もし聴けなかったとしても、家族としてはどんな気持ちになったのか考えます。
それは2人称として死生観を育む第1歩になります。

介護職のプロとして行動できたのか?
改めて、自分自身の行動を問い直してみましょう。
第三者として、介護職としてきちんと行動できたのか?
特に第3者としての死生観ではなく「2.5人称」で向き合えたのか?
振り返ってみましょう。
2.5人称とは、家族のように近過ぎず、かといって完全な他人でもない。
そんな位置関係です。
利用者が亡くなっても何も感じなかった――。
そのことに違和感を覚える方は、ぜひこの“向き合い方”を振り返ってみてください。
詳しくは以下の記事で説明しています。
介護職員として、できることをしたのか。
利用者が亡くなったことを通して、振り返ってみましょう。
実は何か感じている自分に気付けるかもしれません。
利用者が亡くなることを専門職として向き合う方法
利用者が亡くなったことに対して専門職としてもっと向き合いたい。
そう思う方は、終末期ケアに対しての勉強をすると良いかもしれません。
終末期や死生観など、人が亡くなることへの学びは終わりがありません。
これが正解といえるものがないからです。
本当に向き合うためには、知識以外にも大切なものがあります。
自分自身の、価値観や感情と向き合うプロセスです。
例えば以下のようなテーマがあります。
・アドバンス・ケア・プランニング(ACP)
・家族へのグリーフケア
・ナラティブアプローチによる関わり方
単なる知識ではなく、実際の現場での「寄り添い方」に直結する大切な学びです。
「もっと学びたいけど、何から始めればいいかわからない」
そんな方におすすめなのが、終末期ケア専門士という資格です。
この資格では、エビデンスに基づいた終末期ケアの知識やスキルを体系的に学ぶことができます。
死生観、グリーフケア、疾患別のターミナルケアなど、幅広い内容が網羅されています。
終末期ケア専門士の資格を取得するメリット
・ターミナルケアに関する幅広い知識を習得できる
・会員同士のコミュニティで意見交換ができる
・資格に段階があり、継続的なスキルアップが可能
もちろん、デメリットもあります。
・受講や受験に費用がかかる
・給与に直接反映されない場合がある
・資格維持に継続的な学習が必要
それでも、
「専門職としてもっと深く学びたい」
「利用者が亡くなったときの関わり方を見つめ直したい」
そう思う方は、ぜひ挑戦してみてください。
終末期ケア専門士の資格取得の勉強についてはこちらから調べてみて下さい。
一般社団法人日本終末期ケア協会が開催している、終末期ケア専門士試験対策WEB講習会です。
資格取得を通して、終末期ケアについて学んでみる。
それも一つの向き合い方です。
注意:けっして軽んじた態度や発言をしない
利用者が亡くなっても心が動かない。
そう感じている方には、一度立ち止まって考えてほしいことがあります。
人の死を軽く受け止めていないですか?
日々の忙しさや、繰り返される別れの中で、感情が鈍くなるのは自然なことです。
でも、一人の人生が幕を閉じた。
それは決して小さな出来事ではありません。
そのような状況を、軽んじる言動にならないよう気を付けましょう。
では、現場ではどんな行動に気をつけるべきなのでしょうか。
それは、日々の言葉遣いや職員同士の何気ない会話の中に表れます。
口から出た言葉は、行動や心を映し出しています。
ここからは、私自身の体験をもとにお話ししていきます。
病院にある「ステった」という言葉

病院では、患者が亡くなったときに「ステルベン(Sterben)」という言葉を使います。
ドイツ語で「死ぬ」という意味のこの言葉は、医療現場では専門用語として使われてきました。
しかし、慣れてくると職員同士で「ステった」という言葉が飛び交うことがあります。
私は、「ステった」という言葉に何となく危うさを感じました。
始めは仕事上、いちいち言葉を選ぶ余裕がないかもしれません。
しかし、言葉が軽くなると心の中でも軽んじるようになります。
病院で勤務していた時代には、「ステった」が当たり前に使われていました。
私自身も、その環境に流されていた時があります。
・患者が亡くなったとき、「ステったんですね。」と軽々と受け止める
・関係のない談笑をしながら、エンゼルケアを行える。
このような言動に現れていました。
違和感を抱きつつも、環境に流されしまっていたのです。
病院は、いつ誰が話を聞いているかわからないですよね。
そのため、患者や家族に配慮して「亡くなった」などの言葉を使わないようにします。
「ステルベン」は言葉を選ぶための表現です。
日常で使われている言葉で軽く表現する。
それは心の中にも影響してきます。
だから私は「ステった」という表現はあまり勧められません。
亡くなった出来事を軽く扱う言葉で表現する。
それは、人生の終わりを軽んじることになります。
「もう死んだの?」という軽い会話

利用者が亡くなるのを、何度も目の当たりにしたとき
普段の会話で、軽く扱わないようにしましょう。
「あの人、もう死んだの?」
このような表現です。
なぜならその言葉の背景には利用者に目が向いていないからです。
そして、自分の感情や都合に目が向いてしまっている。
このような意識になっていると言えるからです。
実際に私が経験した出来事をお話しします。
病院で夜勤をしていた時、危篤状態の患者の様子を見ることになりました。
延命治療はせず、心肺停止になったらそのまま医者を呼ぶことになります。
そんな中、夜勤に一緒に入った看護師の口から出たセリフがあります。
「朝までもって、日勤帯で死んでくれないかな?」
夜勤は職員の人数が少ない時間帯です。
確かに、その時間で患者が亡くなると大変かもしれません。
しかし、言葉を選ぶ意識は大切です。
翌日の朝には、早番の看護師と「もう死んだの?」「まだ」
といった会話が繰り広げられていました。
仕事として、何度も利用者が亡くなると精神的に慣れてきます。
慣れてくると、何も感じなかったり平然といられるようになります。
それを「自分は人よりも強い」と誤解してしまう人もいるのです。
決して人より優っているわけではありません。
介護や医療は仕事上、患者が亡くなることを仕事と捉えなければできません。
ある程度、心の防衛反応として平然と捉えることは仕方のないことです。
しかし、一人の人が亡くなっているのです。
仕事中の会話でも、物事を表現する意識は大切です。
日頃の会話の仕方で、利用者が亡くなる出来事をきちんと向き合う一歩になります。
もしかしたら疲弊しているサインかも

「最近、利用者が亡くなっても、何も感じなくなってきた・・。」
それは、もしかしたら「慣れ」ではなく心が疲れているサインかもしれません。
極端にストレスがたまってくると、うつのような状態になります。
うつのような状態になると、感情鈍麻という状態がみられることがあります。
感情鈍麻とは、まさに感情の動きが鈍くなる状態です。
これは脳の働きの低下が原因で、自分の性格に問題があるからではありません。
こんな変化があったら要注意です。
・楽しかった趣味が楽しくなくなった
・映画をみても、以前のように感動しなくなった
日常でも、このような状態にあったら要注意です。
利用者が亡くなることに何も感じないのは、心が疲れているからかもしれません。
それも、自分自身から「もう限界だ」とまで警告が出ている可能性があります。
これから具体的な状況や、どう対処すればよいかをお伝えします。
悲しい感情だけではなく、他の感情もわかない
利用者が亡くなったとき、悲しいという感情がわかない。
そんなときは、他の感情が湧いているか、自分の心の動きを振り返ってみましょう。
精神的な疲労では、感情自体が動かなくなります。
特にうつ状態のような心が疲れている場合、脳の機能が低下しています。
そうすると、悲しいとか楽しいといった感情が湧きにくくなります。
・利用者が亡くなっても何も感じない
・仕事に対しての意欲が全くわかない
・利用者と話しても「最近は」楽しくない
このように、悲しい以外の感情や仕事への意欲がなくなった。
そんな時は要注意です。
心が疲弊しているサインかもしれません。
あなたの性格に問題があるわけではありません。

日常でもそのサインが出ていないか
仕事以外でも、感情が薄くなっている時はありませんか?
もし、そう感じていたら心が疲れているサインかもしれません。
心理的な防衛反応やプロ意識であれば、仕事中だけで感じているはずです。
しかし、休日などでも感情が薄くなっていれば、脳が疲れているサインかもしれません。
・以前楽しかった趣味がやる気すら出ない
・食べ物の味にも何の感情もわかない
・嫌な事でも怒りの感情が出てこない
日頃からこのように、感情が薄くなっていませんか?
それは心が疲れて、自分を見つめ直すサインかもしれません。
すぐに対応するための行動をとりましょう。
まずはしっかり休むこと、そして必要であれば環境を見直すことも大切です。
心が疲れていたら休むか環境を見直す

利用者が亡くなっても、なにも感じない。
それくらい心が疲弊しているのであれば、休むか環境を見直しましょう。
今、起こっている出来事に対して脳が対応しきれていない状態です。
そして、感情がわかないくらい疲れているといえます。
頑張りすぎているのかもしれません。
・休日は、散歩や瞑想などゆっくりと今を生活する
・おいしいと思える食事をゆっくりとる
・自分の思ったことを紙にひたすら書いてみる
自分の「今」に集中して、少しでも楽しめることをしてみましょう。
もし、休んでも休んでも変わらない時は環境を変えてみてはどうですか?
もしかしたら、今の職場の環境があってないのかもしれません。
環境を見直してみて下さい。
利用者が亡くなる出来事以外にも、心が疲れる理由があったりします。
・今の状況を説明して、部署異動をお願いする
・新しいコミュニティに入って、少し環境を変える
・思い切って転職する
心の疲れは時には、一人で抱えきれなくなる時があります。
疲れ切ってしまう前に、環境を変えることも一つの手段です。
「転職」という言葉に不安を感じるかもしれませんが、
今の自分を守るための前向きな一歩として、選んでもいいのです。
▶︎【あなたに合った職場を探す】
心が限界を迎える前に、できることから始めましょう。
逃げることは、弱さではありません。
あなたがあなたらしくいられる場所は、きっとあります。
まとめ:利用者が亡くなって、何も感じないのは自然なこと
利用者が亡くなっても何も感じない。
それはおかしいことではなく、自然であること。
そしてそのような自分に違和感を感じている人に、向き合い方や注意点を伝えました。
・間違った反応ではなく自然なこと
・冷静に「死ぬこと」に対して向き合うと良い
気をつけたいポイントとして、次のようなことがあります。
・軽く見る言動をしない
・もしかしたら、心が疲れているサインかも
人が亡くなったことに対して、何も感じなくなっている。
そこに違和感を感じている時点であなたは変ではありません。
きちんと向き合おうとしている証拠です。

私も利用者が亡くなることに今も感情的になることはないです。
「そうなんですね」とそのまま受け入れてしまいます。
でも、その後で上司や周囲の職員に亡くなった方の話をします。
どんな最期だったのか?など自分なりの思いを言葉に出してます。
そうやって向き合うようにしています。
小さな一歩でのいいです。
利用者が亡くなったとき、向き合える行動をしてみて下さい。
自分なりの気付きや学びがあるかもしれません。
自分なりの学びは、自分なりの価値観を育んでくれます。
少なくとも、何も感じなくなっている自分を責めないでください。
それは、決しておかしいことではありません。
逆に利用者が亡くなってショックな方もいるかと思います。
利用者の死を乗り越えたいと悩んでいる方は以下の記事はおススメです。




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