利用者が亡くなることを経験したことはありますか?
その時に、どんな気持ちになりましたか?
重たい話ですが介護の仕事で、利用者が亡くなることがあります。
そんな時に
- 利用者が亡くなって、なかなかショックから立ち直れない。
- これからターミナルケアに関わるけど、どう向き合っていいか不安。
- 利用者が亡くなった後の喪失感から抜け出せない。
そんな方に、今回は利用者が亡くなったとき、どう乗り越えるかを話していきます。
私は療養型医療施設で、何度も患者が亡くなることを経験してきました。
何人もの方の、亡くなった後のケアも経験してます。
昨日まで談笑していた方が、翌日には意識がなくなり、その日のお昼には亡くなられたこともありました。
あまりのあっけなさに、そのことを受け容れられませんでした。
・どうしても仕事として割り切ることができない。
・信頼関係されていた方が亡くなって、喪失感から抜け出せない。
このような気持ちにもなりました。
人が亡くなることに、きちんと向き合うことは、単に喪失感や悲しい感情に対処するだけではないです。
これから利用者に限らず家族など、これから身近な人が亡くなることが誰しもあります。
そのような時にも、きちんと向き合うことにつながります。
人が亡くなることに向き合う機会がないと、突然の別れに対して受け入れることに時間がかかってしまいます。
また、向き合うことができないと、うつ症状や介護の仕事への燃え尽き症候群になることもあります。
今回の記事をきっかけに、人が亡くなることに対して、きちんと考えるきっかけとなれば幸いです。
利用者の死を乗り越えるために必要なのは、亡くなったことに対する「適度な距離感」です。
そしてその中で、死や生に対する考え方(死生観)を持つことです。
そのために、できることは
- まずは「死」を忌み嫌わないこと
- 亡くなったことをどう受け止めるかを考える
- そして、向き合うためには死を目の当たりすること
具体的に述べていきます。

「適度な距離感」とは2.5人称
まず、利用者が亡くなったときには、他人事でもない家族のように近すぎない「適度な距離感」が必要です。
では「適度な距離感」とはどれくらいのイメージでしょうか?
死の人称といわれる表現では、1人称~3人称とあります
その中で2.5人称くらいが、ちょうど良いです。
(ノンフィクション作家の柳田邦男さんも提唱しています)
近すぎると職員がうつ状態になってしまったり、バーンアウトしてしまったりします。
かといって他人事としてとらえすぎると、あまりにもドライというか冷たい対応になります。
例えば、事故が起こって目の前に助けなければいけない人がいたとき、どこのポジションにいるかをイメージしてみましょう。
- 友人や家族が被害者であり、目の前の出来事にショックを受けて、ただうろたえてしまう。
- 目の前の人を助けようとして、今、できることをしようと行動する。
- 他人事としてとらえ、事故の状況をスマホのカメラで撮影する。
つまりとらえ方としては、家族と他人の中間位をイメージしておくと良いです。
それは利用者が亡くなられたときに、職員としてできることを行ってきたのか、を考えられるからです。
また、急変など突然に利用者が亡くなることを目の当たりにしたときに、冷静に行動できるからです。
ではそのような距離感をもてるために、必要な考え方や経験を挙げていきます。
利用者の死を避けたり、忌むことをしない
「死」を受け容れること
まずは人の死に対して、避けて通ったり忌み嫌うことをしないことです。
そもそも日本において、死ぬことが「不幸」と表現されるように忌み嫌うこととされています。
誰もがいつかは死ぬのに、かかわることを避けようとします。
避けてばかりでは、いつか関わっていたご利用者が亡くなったとき、身近な家族が亡くなったときに大きな精神的ショックを受けてしまうだけになってしまいます。
大事なのは避けたり関りを拒否することではなく、それをいつか来ることとして受け容れることです。
まずできることとして、
・死ぬことに対しての関連する本を積極的に読むこと
・看取りを経験した人に直接、話を聴く
・人生会議などの、集まりに参加してみる
少しでも向き合って、「死」に対して触れることで徐々に受け容れられるようにしてみることです。
「死」に対しての捉え方は個人の経験や価値観によっても変わります。
どれが正解とは一概に言えないです。
まずは受け容れることで、自分なりの価値観を持てる準備をしましょう。
介護・医療現場で急変や、亡くなることを避ける人がいる
これまで医療や介護の仕事に関り、急変も経験しました。
なぜか患者や利用者が亡くなること、あるいは急変することを避ける職員が、意外と多いです。
介護・医療従事者は利用者・患者が死ぬことについては、しっかりと想定しておいておくべきです。
なぜなら急変が起こったとき、動揺せずに冷静な判断と行動が、求められるからです。
私が病院勤務の時代には、急変を避ける医者や看護師、介護士がいました。
急変が起き、患者の心臓が止まりかけている時に、
「5時なので私はもう、帰ります。」
そう言って、去っていった医者もいました。
利用者の死に直面することを避ける方法として、デイサービスへの転職を勧める意見もあります。
しかしデイサービスでも、急変の可能性はついて回ります。
デイサービスの看護師には、救急搬送や急変を嫌がる人もいました。
その結果として
・血圧が高い人に、執拗なバイタル確認を行う
・すこしでも体調がすぐれない一人暮らしの利用者を、一方的に帰らせようとする
・とにかく、急変をデイサービス利用時には、起きないように要求する(起きるなら自宅で)
このように過剰に、利用者を不安にさせるような行動が見られました。
利用者が急変することや、亡くなることを避ける行動ばかりでは、向き合うことはできません。
介護職・医療職にかかわる人は、利用者・患者が亡くなることに、心の準備をしておくべきです。
亡くなったときにどう受け止めるのか
誰もがいつかは死にます。
絶対に避けることはできないです。
避けることができないからこそ、どんな最期を迎えるかが大事になります。
利用者が亡くなられた時の受け止め方によって、気持ちは変わってきます。
受け止め方として、用いられる死の人称があります。
・1人称(利用者自身)
・2人称(家族)
・3人称(自分自身)
それぞれの立場から考えてみましょう。
利用者自身にとってどうだったのか?【1人称】
利用者との死に関わるときに、亡くなったことはショックですが、目を背けないで下さい。
・どのような、最期を迎えることができたのか
・ご利用者自身にとって、どんな最期だったのか
・理想とする最期か、そうではなかったのか
自分事として考えることです。
そうすと今後、関わっていく利用者にとっての、最期を考えて行動できるからです。
人が亡くなることを正確に予測することは、不可能です。
突然に最期を迎えたとしても、本人にとってどうだったのか?
生前のかかわり方によって、捉え方は大きく変わってきます。
ご家族にとって、どうだったのか?【2人称】
ご家族にとっては、とてもつらい気持ちになります。
そんな時、どんな気持ちなのかを寄り添って考えてみましょう。
利用者が亡くなって、一番ストレスを受けるのは身近な家族です。
・生前に、できることはできたのか
・心残りは何だったのか
・今、どう感じているのか
機会があるのであれば、ご家族から話を聴いてみましょう。
傾聴することで、ご家族の心の負担を、減らす支えにもなります。
利用者が亡くなったときに、一番に死を感じるのは何よりも身近な家族です。
自分はどうだったのか?【3人称】
そして自分自身はどう感じたのかを向き合ってみましょう。
・しっかりできたことは何なのか
・もっとこうすれば良かったことは
・今回のことで、得られたものは何か
そうすると、いま関わっている利用者にどう関わっていくか、これからの事も考えられます。
ちょっとでも良いです、前向きに考えて進みましょう。
そして、向き合うためには死を目の当たりすること
何よりも経験すること
人間の、最期の迎え方についての考え方は、多くあります。
本などで勉強することや、日ごろから考えることはとても大事です。
そして何よりも経験することで学べます。
何ごともそうですが、経験することでしかわからないことがあります。
介護の仕事で、いつか利用者が亡くなることを目の当たりすることがあります。
その時にはしっかりと向き合っていきましょう。
最初は喪失感のほうが大きいかもしれないです。
でも時間とともに受け容れることができ、そして向き合うことができます。
向き合うことができれば、受け容れられることができれば、適度な距離感を感じることができます。
利用者が亡くなることに向き合うためには、
なによりも経験すること、目の当たりにすることから学ぶことです。
自分なりの死生観は、経験を重ねて築き上げられる

人として、最期を迎える時の考え方は、一朝一夕で結論が出るものではないです。
経験をしっかりと、重ねていきましょう。
そこから、あせらずにゆっくりと自分なりの価値観を築き上げていきます。
死に対する価値観は、全員が、誰もが納得できる正解がないからです。
人それぞれに考え方があり、どれもその人にとっての正解といえます。
そしてそれはその人の経験や学んできたことから得られたことです。
それくらい簡単に答えが出せるものではない、ということです。
私自身も療養型医療施設にて、何度も患者が亡くなる場面に立ち合いました。
その中には、いろいろな最期の迎え方があります。
天涯孤独で、誰も悲しむ人がいないまま亡くなっていく患者を、みたことがあります。
その時に、その方の人生の最期をみていたのは、私一人でした。
その時、この人にとって、人生の最期はこのような形を望んでいたのか?
ふと、そんなことを考えて、仕事をしていました。
そのように自分なりの疑問を持ちながら、経験を重ねていくことが、自分なりの価値観を持つことにつながります。
まとめ
どうでしょうか?
利用者が亡くなることについて、ショックを受けすぎないためには
「死生観」をもつことと、
「適度な距離感」が必要になります。
そのためには
・まずは「死」を忌み嫌わないこと
・亡くなったことをどう受け止めるかを考える
・そして、向き合うためには死を目の当たりすること
それを積み重ねていくことで、自分なりの価値観を築き上げていくことができます。
そして、近すぎず遠すぎずの家族と他人の中間くらいの距離感を保っていきましょう。
人が亡くなることに対してをテーマとすることは、不謹慎と思う方もいるでしょう。
しかし、この避けて通れないテーマにはきちんと向き合って、考えることが大切です。
「死」に対しては忌み嫌うことをしないで、きちんと向き合っていきましょう。
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